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雑記を楽しむ

55歳、会社を辞めて「自分の歩み」で生きてみることにした。

はじめまして doppo(どっぽ)と申します。

唐突ですが、会社を辞めることになりました。

いわゆる普通のサラリーマンをしていて、できればこのまま定年まで、と思っていたのですが、コロナをきっかけに社内の風向きが変わり、やむなく退社することになりました。

退職日まであと1か月残っていますが、次の仕事が見つかっているわけではなし、来月からは実質無職の生活に突入します。

当初は転職先を見つけようと、焦って動いてみたりもしたのですが、予想以上に厳しい中高年の転職事情に直面し、一旦頓挫しました。

結局、30年以上社会人をやってきて、その間ずっと「会社勤めは自分の性に合わない」と思ってきたこともあり、

とりあえず半年間限定で、少しだけ気ままなスローライフをさせてもらうことにしました。

休職中の身であることには変わりありませんが、これからは、肩の力を抜いて自分の歩みで生きていこうと思っています。

で、もともと文章を書くことは好きなので、ブログを書いてみることにしました。

長い間、妻と旅行にも行ってませんでしたので、少し貯金を使って旅行にも行きたいと思っています。

ほんのわずかな元手しか使えませんが、以前から少し興味のあった投資についても、勉強を兼ねて少しづつやってみたいと思っています。

それらを、楽しみながら、このブログで書いていきたいと思っています。

身の丈の範囲で、いろいろなことを試してみたいと思います。            

これまでの生き方にこだわらない肩の力を抜いた生活を楽しんでみたい

そういった意味を込めて、ブログ名はDOPPO(独歩)~50代から始めるスローライフの楽しみ方〜としました。

今のところは「楽しみたい」という思いにすぎないのですが、実際に肩の力を抜いた生活をしてみて、いろいろと試してみて、楽しめそうなことを徒然に発信していき、私と同じように50代にして早期退職を余儀なくされた方々に、これまでとは違う価値観で過ごす生活の楽しみ方を発信するブログにしていけたらと思っています。

とりあえず初回は、スローライフへの思いについて、つれづれ書いてみたいと思います。


会社勤めが性に合っている人って、どれくらいるのだろうか?

毎年4月になると大量の新卒社員が企業に入社します。

同じ時期に、足並みをそろえて大量の社員を採用するのは日本だけのようで、てっきり高度経済成長期以降に始まったものなのだろうと思っていましたが、調べてみたところ、「新卒採用」の始まりは、戦前の1910年~20年頃まで遡るようです。

新卒採用の始まりとともに、学生の「就活」もその頃から始まったそうです。

毎年春先になると、リクルートスーツを着た学生がオフィス街を民族大移動のごとく、怒涛の流れとなって就活に向かう様は、もはや季節の風物詩になっていますが、ほとんどの学生は、「この流れに取り残されたらたいへんだ」とばかり、大学3年の終わり頃になると、いっせいに就活を始めます。

私もご多分に漏れずそうでした。

この時点で、自分は将来どうなりたいとか、何の職業に従事したいとか、明確な考えを持っている学生は少数派で、おおかたの学生は、自分は何をしたいのか、何を仕事にしたいのかはとりあえず後回しにして、企業や業種について持ち合わせのイメージでアタリをつけて、とにかく採用レースに置いてきぼりを食わないように動き出します。

別に悪いことだとは思いません。

これはこれで日本人や日本社会に合った良い方法なのではないかと思います。

大多数の人は、熟慮の結果として就職先を選択しているわけではなく、就活の結果として会社に就職し、そこでの経験と、仕事や人とのめぐり逢いを経て、社会人として成熟していくのですから。

ただ、私個人のことで言えば、そもそも就活の時点でよく考えもせず、流れに任せて会社員つまり「企業に雇用される就業者」という選択肢を選んだことを、心のどこかでずっと後悔してきたような気がします

振り返れば最初に就職した会社を1年たたずに辞め、その後5回転職し、転籍を入れて8社で働いてきました。

業種・職種もさまざま、いわゆる大手と言われる企業の管理職も経験しましたが、正直、

ずっと、勤め人でいること、組織の一員でいることに困難を感じてやってきました。

本心から、会社勤めは性に合わないと思ってやってきました。

では、なぜ会社員を辞めて、フリーランスなり、起業なりしなかったのかと問われそうですが、会社員しか知らずにやってきたから、そんな勇気はなかったというのが、正直な答えです。

「新卒採用」という、合理的かつ効率的な優れたシステムのおかげで卒業と同時に就職でき、また、その会社を退職後も、日本の転職市場の類を見ない「めんどうみの良さ」のおかげで、長期間失業することなく、次の就職先を見つけることができたからこそ、とりあえずこの年齢まで、路頭に迷うことなく給与を得てこれました。

それは本当にありがたいことではあるけれど、このありがたい制度、マーケットのゆえに、「勤め人は自分の性に合わない」と思いつつも、結局は定年を迎える年齢まで会社勤めをしている人が、この国にはけっこういるのではないかとも思うのです。

かつての日本では、自営業に携わる人のほうが多かった!

サラリーマンという言葉、最近はあまりおおやけには使われなくなりました。「サラリーマン川柳(サラ川)」も、次回から「『サラっと一句』わたしの川柳コンクール(サラ川)」に名称変更されるようです。

ウィキペディアで「サラリーマン」を引いてみると、「雇用主からSalary(俸給)を得て生活している者」とあります。

雇用主に雇われて給料・賃金を得ている者を「雇用者(被雇用者)」と言いますから、サラリーマンは雇用者にあたります。

ちなみに、雇用者には、公務員も、教員も、団体職員も、派遣労働者やアルバイトなどの非正規雇用者も含まれます。

平たく言えば、給料をもらって働いている人全てを雇用者と言うわけです。

さらに、仕事を持っている人のことを「就業者」と言いますが、雇用者はこの就業者に含まれます。

では、就業者のうち、雇用者以外の就業形態は何かと言うと、それは「自営業主」と「家族従業者(自営業主の家族族で無給で仕事を手伝っている者)」です。

なんだか用語解説みたいになってしまいましたが、何が言いたいかといいますと、日本では少し前の時代までは、自営業者とその家族従業員を合わせた人数が、就業者全体の半数以上を占めていたのです。

少し前の時代と言っても、それほど前のことではありません。

総務省統計局の「国勢調査報告」によると、1950年の調査では、就業者(3602万人)のうち、自営業主と家族従業員(2184万人)が全体の60.6%を占め、雇用者(1415万人)の39.3%を上回っていますが、

同じ国政調査報告の2021年の調査では、就業者(6667万人)のうち、雇用者(5973万人)が89.6%を占め、自営業主と家族従業員(660万人)の9.9%に対して圧倒的に多くなっています。

この最大の理由は農林業人口の減少ですが、農林業以外の業種における自営業主の数も、1983年の707万人をピークとして急速に減り続け、2021の労働力調査では557万人に縮小しています。

私が子供の頃(1970年~80年頃ですが)を思い起こすと、実家の隣は自営の鉄鋼所、向かいは農家、はす向かいには自営の製陶所、その隣が個人の絵画教室で、そのまた隣が自営の裁縫業、そのほかにも、近隣に自営の製造業がいくつかあり、自転車店、雑貨店、青果店、そろばん塾、クリーニング店、理美容店などの個人商店もいくかありました。

会社勤めはむしろ少なく私の実家を含めて数世帯、あとは町役場の職員や教員などの公務員が数世帯、といった構成だったと思います。

昔ながらの古い町というわけではなく、全国どこにでもあるような都市辺縁部の新興住宅地で、自営業を営む家も皆、自分の代で始めた人ばかりでした。

一念発起して起業したという風ではなく、学校を出て務めた先で一定期間修行し、手に職を付け、ごく普通のこととして独立して生計を営んでいるといった感じでした。

身の丈に応じた自立的な働き方という観点で見ると、経済成長期の自営業の姿は、自分の志向するところの働き方であったなあと思います。

現在の日本では、人口減少や高齢化、経済構造の変化により、昭和の頃のように「普通のこと」として自営開業が望めるような社会ではなくなってしまいましたが、

その代わりに、インターネット上のプラットフォームを利用することによって、これまで開業をあきらめざるを得なかった人にも自営業の選択が可能になっているという、この時代ならではの恩恵を受けられます。

このネットの恩恵を享受し、利用して、これまでひたすら「雇用者」であり続けてきた社会人人生の舵を、「自営業主」的なスタイルへと少しづつ切り換えてみようと思っています。

江戸時代の隠居生活は、スローライフの理想形!?

漫画家で江戸の風俗研究家でもあった杉浦向日向子さんが、昔、「コメディーお江戸でござる」というNHKの番組で、江戸の隠居生活について解説されたことがありました。

当時私は30代のはじめ頃だったと思いますが、何気に番組を見ていて、その隠居生活というものに妙に心引かれたのを覚えています。

杉浦さん曰く、江戸の町人には、40代半ばから50代の年齢で跡継ぎに稼業を渡して「隠居生活」を送る人がめずらしくなかったそうです。

もちろん年金制度など無かった時代ですから、隠居をする人は、隠居生活ができるだけの食い扶持は自分で蓄えていたわけで、皆が隠居暮しをできるわけではないのですが、かといって、隠居生活が極めて裕福な人だけの特権だったかと言えば、そうでもなかったようです。

また、隠居と言うと、遊んで暮らしているかのように思われるかもしれませんが、多くの隠居者は、地方自治の顔役のような役回りや、寺子屋の師匠、趣味を生かした小規模な商いなどをして働き、隠居前とは違う価値観のもと、充実した第二の人生を過ごしていたようです。

全ての労働をリタイアするのではなく、稼ぐためだけの労働をリタイアし、社会とのつながりの中で、自分の興味があること、価値を感じることに勤しみ、働くことを楽しみながら生きていくその意味で、江戸時代の隠居生活は、現在の「老後生活」とは根本的なニュアンスにおいて異なっていたようです。

こうしてみると、隠居生活は、まさにスローライフの理想形だと思います。

現代の日本では、一部の裕福な人たちを除いて、稼ぐための労働は生活していくために必要不可欠であり、50代そこそこでこれをリタイアするのは、ほとんどの人にとって不可能です。

であれば、生活の糧を得るための労働には勤しみつつ、収入額をアップするためだけの労働、生活レベルを上げるためだけの労働、あるいは自尊心や承認欲求を満たすためだけの労働からは距離を置いてみる、

身の丈の範囲で、自分の興味があることや価値を感じることに向き合った生活を送りながら、同時に、働く楽しみをだいじにしながら生きていく

現代の隠居生活=スローライフは、このようなスタイルになるのではないかと思います。

そして、この先このブログが、これから始まる私のスローライフの、ライフワークになったら良いなと思っています。

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