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雑記を楽しむ

城好きは必見! ルイスフロイスが「地上の楽園」と評した、信長天下獲りの出発地【岐阜城】へ行ってみた。


織田信長の築いた城と言えば「安土城」が有名ですが、歴史好き、信長好きの人たちには、「岐阜城」も安土に劣らずよく知られているお城です。

尾張を統一した信長は、次いで美濃の斎藤家を滅ぼし、地名を岐阜と改称、かつて稲葉山城と呼ばれていた城に大改修を施した「岐阜城」を拠点として、楽市楽座兵農分離などの政策を推し進め、天下布武に乗り出します。

生涯に居城を何度も変えた信長ですが、この岐阜城を拠点としていた期間が最も長く、信長の天下取りの出発点となった城という意味でも貴重な史跡と言えます。


しかしながら私、これまで一度もこの岐阜城を訪れたことがありませんでした。

歴史好きを自認していながら、しかも行こうと思えば容易に行ける場所に住んでいながらです。

一度行ってみたい、とは思っていましたが、天守閣が昭和の時代に作られた鉄筋コンクリート製ということもあって、正直なところ「わざわ見に行くほどのことはないか」と、あなどっておりまして、城のある金華山の周辺を車やバスで通ったことは何度もあったのですが、一度も城郭に足を踏み入れたことがありませんでした。

それが、先日、仕事を退職して時間と心の余裕ができたこともあり、「ちょっと行ってみようか」という乗りで、小旅行的な気分で行ってきました。

実際に訪れてみると、これが目からウロコ(!)と言いますか、「岐阜城」がこれほど魅力的な場所だとは思っておらず、想定外の驚きでした。

歴史にそれほど興味のない妻も、ロケーションの美しさや、整備された城址公園の清々しさに感動ひとしきりの様子でした。

これまで私がそうだったように、歴史好き、城好きの方でも、岐阜城を「過小評価」していて今まで一度も行ったことがないという方、けっこういらっしゃるのではないかと思います。

そんな方に少しでも岐阜城の魅力が伝わればと思い、レポートしてみることにしました。よかったらご覧ください。


電車・バス旅なら「岐阜城下町きっぷ」がおすすめ

岐阜城は、岐阜県岐阜市にあります。

電車・バス旅で岐阜市へ行く場合、JR名古屋駅に到着後、JR中央線でJR岐阜駅に向かい、岐阜駅でバスに乗り換えて、城址のある「岐阜公園・歴史博物館前」のバス停で下車、というのが一般的なルートです。

乗り継ぎがスムーズなら所要時間は名古屋駅から約40分、新幹線などJR各線からの乗り継ぎも良く、速さと効率優先で選ぶならJR線を使ったこのルートがベスト

ですが、岐阜城とその周辺の「観光」をより楽しむなら、もうひとつのルートを使った、おすすめのきっぷがあります。

それが「岐阜城下町きっぷ」

岐阜城下町きっぷのチラシ
岐阜城下町きっぷPRチラシ


愛知県と岐阜県を基盤にしている私鉄「名古屋鉄道(名鉄)」が発行しているお得きっぷのひとつです。

電車で名古屋から岐阜に行くには、先のJR線を使って行くルートと、この「名鉄線」を使ったルートの2種類があります。

名鉄線を使う場合は、JR名古屋駅から少し(徒歩3分くらい)離れたところにある「名鉄名古屋」駅から乗車し、同じくJR岐阜駅から少し(徒歩5分くらい)離れたところにある「名鉄岐阜」駅まで名鉄電車で向かいます。

JR名古屋駅から少し歩かなければならないのと、乗車時間が10分ほど長くかかるので、ビジネスではあまり使用しないのですが、観光と絡めたお得なきっぷが多数発売されていて、地元エリアでは近隣への観光によく利用されています。


「岐阜城下町きっぷ」もそのひとつで、

○名鉄名古屋駅をはじめ、名鉄の最寄り駅から名鉄岐阜駅までの往復きっぷ

○名鉄岐阜駅から「岐阜公園・歴史博物館前」バス停近辺の指定区間内で乗り降り終日自由の1DAYバスフリーきっぷ

○岐阜公園内から山頂までのロープウエイ往復きっぷ

岐阜城天守閣の入場券

周辺観光施設の割引優待クーポン

○さらに、指定店舗でお菓子などがもらえるのぶなが公おもてなし券がセットになっているきっぷです。

ちなみに名鉄名古屋駅からなら、上記が全てセットで2470円


JR線ルートで行った場合の料金と比較してみると、

JR名古屋駅から「岐阜公園・歴史博物館前」までの電車・バス料金が往復で1380円、ロープウエイ料金が往復で1100円、岐阜城天守閣の入場料200円を加えて合計2680円ですから、移動費だけで考えると「少しお得」という程度ですが、

「のぶなが公おもてなし券」を使えば、ロープウエイの山頂駅にある「ぎふ金華山リス村」の入場料200円が無料になったり、岐阜公園からほど近い鵜飼の乗船場がある「川原町」でお団子やお菓子がもらえたりしますし、

「観光施設優待クーポン」を使えば、岐阜公園内にある「岐阜市歴史博物館」や、近くの「長良川うかいミュージアム」の入場料が50円程度割引になったり、

ちょっとした特典が付いているのが、観光気分を盛り上げます

特に2人以上の複数名で観光する場合は、このきっぷで楽しさがアップすること間違いなし。かなりおすすめです。

尚、きっぷの特典内容、発売箇所等については、名古屋鉄道HP「岐阜城下町きっぷ」をご覧ください。


山麓から、比高300mの山頂を見上げる。

さて、岐阜城下町きっぷを使い、「岐阜公園・歴史博物館前」でバスを降りると、バスの進行方向に金華山と、その頂に小さく岐阜城が見えてきます。

山頂に小さく見える天守閣
山頂に小さく見える天守閣


岐阜城の特徴の一つは、「比高」が300mと極めて高いことにあります。

一般に山城の高さを紹介する際には「標高」が用いられることが多いようですが、これは海水面からの高さになりますので、山岳地帯など、元々標高の高い地域に建てられた城の場合、その土地の高さも含んだ値になります。

これに対して「比高」というのは、ふもとから本丸(天守台)までの高低差を表しますので、山麓に立って見上げた時の、見た目の城の高さそのままを表しています。

岐阜城は、再建天守閣を含め築城されている城の中で日本有数の「比高」を誇る城で、目の前に小さく見える天守から、その高さが実感できます。


そこから少し歩くと岐阜公園に到着。

金華山山麓の槻谷(けやきだに)の入り口にあり、国史跡にも指定されている織田信長の居館跡がある公園です。

「信長公の鼓動が聞こえる歴史公園」として再整備が進められているだけあって、「信長公居館跡」のほか、手入れの行き届いた日本庭園などもあり、歴史と文化の香り高い公園になっており、天守閣のある山頂に向かう前に、是非、ゆっくりと散策されることをおすすめします。

ちなみに、ここにあった織田信長の居館がどのようなものであったのかは、天守閣内の展示スペースで再現映像と共に紹介されていますので「必見」ですが、その前にここで実際の発掘跡を見ておくと、想像力がさらに刺激され、岐阜城をより一層楽しめること請け合いです。

ロープウエイで天守へ

「言継卿記」を記した公家の山科言継は、織田信長に招かれて「山の上の城」を訪れたたときのことを、道がとても険しく登るのに苦労したと書き残しています。

当時言継は60歳を超えていたようですので、その年齢で歩いて山頂まで行くのはさぞかし大変だったろうと思います。

言継が登ったのは、現在も残る「七曲道」という大手道だということですが、山道を1時間かけて登るのは、またの機会に(笑)にして、ロープウェイで登ることに。

ロープウェイは15分間隔で運転されているので、ほとんど待ち時間無しに利用することができ、とても便利。

山頂までは3分程度とあっという間に到着しますが、眼下に見降す岐阜の街並みが見る間にぐんぐん小さくなっていく様子は、急峻な山上の城ならではの醍醐味を感じられます。

ルイスフロイスが書き残した「地上の楽園」

ロープウェイを降りると、山道と石段を登って10分程の所に天守閣があります。

けっこうな急勾配で、日ごろこれといって運動をしていない私には息が切れましたが、途中何度か小休止しつつ、天守にたどり着きました。

途中、山道の樹木の間から見上げる天守閣の風景は絶品!

お城のある風景として美しいことに加えて、地形や景色の織りなすシチュエーションが、古(いにしえ)の登城人と自分を重ね合わせて感慨に浸ることが好きな「歴史マニア」にはこたえられません。


ちなみに現在の天守閣は、昭和になってから、同時代の近隣の城などを参考に作られた模擬天守で、信長の時代に山頂にあった建物がどのようなものであったのかは、当時の文献に断片的に記載があるのみで、実際のところはよくわかっていないようです。

ただ、模造天守とは言え、城好きの心を一瞬で捉える見事な存在感は「さすが信長の城」と、妙に納得させられるものがあります。


天守閣の内部は4階建てで、3階までが展示室、最上階が展望櫓になっています。

1階から3階の展示室スペースでは、信長の築城史に主軸を置いた展示がされていますが、中でも圧巻なのは、発掘調査によって明らかになった山麓の居館をCGで現代に再現した映像展示です。

信長の居館を再現したCG映像
信長の居館を再現したCG映像


信長が築いた居館については、ここを訪れたイエズス会の宣教師ルイス・フロイスが、著書「日本史」にその威容を記していますので、少々長くなりますが「『フロイス 日本史』松田穀一 川崎桃太訳 中央公論社」より、引用させていただきます。


「宮殿は非常に高いある山の麓(ふもと)にあり、その山頂に彼の主城があります。驚くべき大きさの裁断されない石の壁がそれらを取り囲んでいます。第一の内庭には、劇とか公の祝祭を催すための素晴らしい材木でできた劇場ふうの建物があり、その両側には、二本の大きい影を投ずる果樹があります。広い石段を登りますと、ゴアのサバヨのそれより大きい広間に入りますが、前廊と歩廊がついていて、そこから市(まち)の一部が望まれます。

(中略)

(宮殿)内の部屋、廊下、前廊、厠の数が多いばかりでなく、はなはだ巧妙に造られ、もはや何もなく終わりであると思われるところに、素晴らしく美しい部屋があり、その後に第二の、また多数の注目すべき(物)が見出されます。私たちは、広間の第一の廊下から、すべての絵画と塗金した屏風で飾られた二十の部屋に入るのであり、人の語るところによれば、それらの幾つかは、内部においてはことに、他の金属をなんら混同しない純金で縁取られているとのことです。

その周囲には、きわめて上等な材木でできた珍しい前廊が走り、その厚板地は燦然と輝き、あたかも鏡のようでありました。前廊の壁は、金地にシナや日本の物語(の絵)を描いたもので一面満されていました。この前廊の外に、庭と称するきわめて新鮮な四つ五つの庭園があり、その完全さは日本においてははなはだ稀有なものであります。それらの幾つかには、一パルモの深さの池があり、その底には入念に選ばれた鏡のように滑らかな小石や眼にも眩い白砂があり、その中には泳いでいる各種の美しい魚が多数おりました。また池の中の巌の上に生えている各種の花弁や植物がありました。下の山麓に溜池があって、そこから水が部屋に分流しています。そこに美しい泉があり、他の場所にも、宮殿の用に思いのまま使用できる(泉があります)。

二階には婦人部屋があり、その完全さと技巧では、下階のものよりはるかに優れています。部屋には、その周囲を取り囲む前廊があり、市(まち)の側にも山の側にもすべてシナ製の金襴の幕が懸り、(山の側では)小鳥のあらゆる音楽(が聞こえ)、きわめて新鮮な水が満ちた他の池の中では鳥類のあらゆる美を見ることができます。

三階は山と同じ高さで、一種の茶室が付いた廊下があります。それは特に精選されたはなはだ静かな場所で、なんら人々の騒音や雑踏を見ることなく、静寂で非常に優雅であります。三、四階の前廊からは全市を展望することができます。」

引用「フロイス 日本史」松田穀一 川崎桃太訳 中央公論社


ちなみに2007年から10年をかけて行われた第4次発掘調査では、巨石列や石垣、建物の礎石跡に加え、複数の庭園跡や、多数の金箔瓦などが発見されており、そのうち最大規模の庭園の中央には、約20メートル四方の大きな池があり、高さ35mの巨大な岩盤に刻まれた2筋の滝が池に水を注いでいた痕跡も確認されているそうです。

信長居館のCG映像には、発掘調査によって浮かび上がった新たな居館の姿も盛り込まれており、フロイスが「宮殿」と称し、「地上の楽園」と記した壮麗なたたずまいを、リアルに見ることができます。

天守からの眺めは「天下一品」

3階までの展示スペースで居館のCG映像や信長の肖像、武具などを拝見した後、4階へと続く階段を登り、いよいよ最頂部の展望櫓へ。

フロイスは山麓の居館を訪れた後、信長に招待されて「山頂にある彼の主城」に登りますが、その時の様子を以下のように記しています。

「同所の前廊から彼は私たちに美濃と尾張の大部分を示しましたが、すべて平坦で、山と城から展望することができました」(引用同)

天守閣の頂にある展望櫓は回廊になっており、東西南北いずれの方角にも、フロイスの見た光景に匹敵するかのような見事な眺望を目にすることができます。

まさに天下一品の眺めです!


天守閣展望櫓から長良川をのぞむ
天守閣展望櫓から長良川をのぞむ


景色の壮大さもさることながら、天下一壮麗な館で公家や有力武将、宣教師を歓待し、天下一豊穣な地である濃尾平野を一望できる山上に起居し、天下布武を宣して覇道に臨む信長の気概に思いを馳せるには、これに勝る場所はないと思いました。

前段にも書きましたが、山頂の天守がどのような建物であったのかについては詳述された史料が無く、よくわかっていないようです。

ただ、「日本史」には、信長が親族や傘下の有力武将の子息らと山頂に暮しており、きわめて豪華な部屋があって、塗金した屏風で飾られ、内に千本以上の矢が置かれていた、との記述がありますので、現在の模擬天守のような建物ではなかったにしても、それ相応の規模の煌びやかで荘厳な建造物があったことがうかがわれます。


また、現在の金華山は鬱蒼とした樹木に覆われていて、岐阜市街からは頂の天守閣とロープウェイくらいしかしか見えませんが、
信長の時代は、山全体がチャートという硬い岩盤でできていて木はなく、フロイスが、

「宮殿は非常に高いある山の麓(ふもと)にあり、その山頂に彼の主城があります。驚くべき大きさの裁断されない石の壁がそれらを取り囲んでいます」(引用同)

と書いているように、石垣が山を幾重にも囲み、山全体が信長の力を天下に誇示するための勇壮かつ華麗な建造物として、城下の町から見える景観を意識した作りになっていたようです。

後の安土城につながる、信長の「魅せる城」の先駆けといえます。


2018年から始まった山上部の発掘調査では、天守台の石垣をはじめ、山頂部や尾根筋に埋もれていた石垣群が発掘されていますが、信長が築いた石垣の大半は、今も山全体を覆う木の根や、堆積した土の中に埋もれているようで、今後の発掘調査の進展に期待したいところです。

なお、2022年から岐阜城周辺を戦国時代の城郭景観へと復元するための樹木の伐採がはじまるようで、今後の岐阜城景観の変貌も楽しみです。


と、いうことで岐阜城探訪の記はここらで終了と致しますが、史跡探訪に加えて、観光という面でも岐阜城にはまだまだ楽しめる要素がたくさんあります。

山頂部には「岐阜城資料館」や「金華山りす村」「展望レストラン」もありますし、

ロープウェイを下った後は、山麓の公園でのんびりするも良し、

少し歩いて、かつて長良川の湊町として栄えレトロな町並みが残る「川原町」を散策、食べ歩きするも良し、

鵜飼の季節なら「鵜飼観覧船」に乗船するのもありですし、

岐阜城周辺だけで丸一日たっぷり楽しめます

ぜひ一度、訪れてみてはいかがでしょうか。

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