
今回は、これまで私の社会人生活に大きな障壁となってきた「スピーチ恐怖」について、書いてみたいと思います。
スピーチ恐怖とは、読んで字の如く、人前でスピーチをする際に極度の緊張状態になる症状です。
動悸が激しくなり頭が“真っ白”になって言葉に詰まってしまうとか、声や手足が震えるなど、人によって症状はまちまちですが、私の場合は、スピーチの際に、激しい動悸と共に呼吸が極端に早くなり、100メートル走を終えたばかりのような状態になって、息が苦しく話せなくなるという症状に長年悩まされてきました。
単に「あがる」というよりも「パニック」といった方がしっくりくるような状態です。
10代後半の頃、授業の朗読の際に突然この状態になったのですが、最初は朗読の時だけだったのが、人前でのスピーチ時にもこの症状におそわれるようになり、程なく、動悸が早くなりがちなシチュエーション全て、プレゼンや会議での業績報告、議論や意見衝突の際などにも呼吸が苦しくなるようになり、言いたいことが充分に言えないようになりました。
人前で話したり、発言したり、対立したりすることを極力避けるようになり、そうすることが必要な場や、そうなることが予想される状況になることを極端に避けるようになりました。
30代後半で、とあるメンタルクリニックを受診し、薬を処方してもらうまでは、会社に勤めることそのものが「予期不安」の連続で、今から思い返しても本当に辛い日々でした。
今でもその症状自体がなくなったわけではありませんが、幸いにして、クリニック受診以降は未然に処方薬を飲むことで極度の緊張状態を防ぐことが可能になり、以降現在まで、スピーチ恐怖のことを、どうにかこうにか人に知られることなくやってくることができました。
この症状が社会生活を営む上で大きな障害になっている方は、実はかなりいらっしゃると思います。
前職でもこの症状らしき方を時折見かけました。
そうした方の様子を見るにつけ本当に気の毒だと思いましたが、これまでは、ずっと見て見ぬふりをしてきました。
私が長年その症状に悩まされてきたこと、また現在もそうであることを知られたくなかったからです。
しかし、今回、退職してこのブログを書いていることをひとつの大きな区切りとして、
密かな悩みであり続けてきたスピーチ恐怖についてこの稿で取り上げることで、このこと自体にもひとつの区切りをつけたいと思い、今回の題材に採り上げることにしました。
願わくば同じ悩みをお持ちの方に参考にしていただけら幸いです。
あのガンジーやマズローも悩まされたスピーチ恐怖
比較的よく知られた話ですが、インド独立の父、マハトマ・ガンジーも、極度のスピーチ恐怖に悩まされていたことを生前に明らかにしています。
1925年~1929年、ガンジーが56歳から60歳の時にかけて執筆された彼の自叙伝によると、
弁護士資格を取得するため、イギリスに留学していた20代初めの頃のこと、
「この地で菜食普及の大会が開かれることになり、大会でスピーチをするためにわたしたちは招かれた。このような場合、用意された原稿を読んでも特に問題はないことは知っていた。多くの人が自分の意見を、簡潔に手際よくまとめて朗読するのも見てきた。そこでわたしは、スピーチのための原稿を書いた。話す勇気がなかったからである。
大会が開かれ、読もうとして演壇に立つには立ったが、どうしても読み続けられない。目の前に暗闇が広がり、手脚はぶるぶると震えた。原稿はせいぜい羊罫紙1ページほどであった。マジムダルがわたしに代わってみなに読んで聞かせた。一方、マジムダルのスピーチは見事であった。聴衆はかれのスピーチに、轟きわたる拍手をもって応えた。わたしは深く恥じ入り、話すことにかけての自分の能力の無さが悲しくてならなかった」
(「ガンジー自叙伝 真理の実験」 モハンダス・カラムチャンド・ガンジー著 池田運訳 講談社出版 より引用)
ガンジーは、3年間の渡英の後、インドに帰国して弁護士として働き始めますが、最初に任された訴訟で、
「下級裁判所へ行ったのは、このときが初めてであった。わたしは被告側の弁護士であったので、尋問に答える必要があった。辛うじて起立はしたものの、膝頭ががガタガタふるえ、頭は旋回しはじめた。まるで法定全体がぐるぐる回っているような感じで、何を問われているのか皆目分からなかった。判事はきっと失笑を抑えきれなかったに違いない。ほかの弁護士たちはおそらく面白がって見ていたことだろう。目の前が真っ暗であったわたしは、そんなことには何ひとつ気づかずじまいであった。
着席すると、わたしは訴訟依頼人に言った。
『これ以上訴訟をつづけることはできません。パテルに依頼してくださいませんか?いただいた報酬はお返しします』
その日の費用51ルピーをパテルに渡して弁護を依頼した。パテルにとっては、これは子供の遊び程度の仕事であった。
わたしはあたふたと逃げ帰った。弁護士が勝ったのか負けたのか、それさえ覚えていない。わたしは深く恥じ入り、完全に自信が持てるようになるまでは、訴訟案件はいっさい扱うまいと心に決めた。実際、南アフリカへ渡るまで、ついに一度も法廷に立つことはなかった。」(引用 同)
ガンジーのスピーチ恐怖は、後に、南アフリカに渡ってようやく落ち着いたようですが、自伝を記した50代後半の時点でも、
「それでも完全に治ったとは、今もって言い切れない。喋りながらも考える必要がある。知らない人の前で話すときには、どうしても萎縮してしまう」(引用 同)
と書いています。
ガンジーのように自ら自伝で公にしている例は稀ですが、近現代の著名人の中に、スピーチ恐怖に該当する極度のあがり症状を抱えていたと見られる人物は少なからずいます。
ビジネスの世界でもよく引き合いに出される「マズローの欲求5段階説」で有名な心理学者、エイブラハム・マズローもその一人で、彼の評伝を著したコリン・ウイルソンによれば、
マズローが26歳で大学院を修了した頃のこと、
「その前年に彼は『現状維持的社会哲学としての精神分析』なる処女論文をウィスコンシン科学アカデミーのために着手し、これは出版が承諾されていた。しかしこの論文を朗読する段に至って、彼はひどくあがってしまい『聴衆に面と向かうことができなくなり、逃げ出してしまった・・・』ために論文は公表されなかった。(中略)
この臆病なーひどくあがったりするー性向は長い間続いた。(あるテープのなかで彼は、それが最終的に終わったのは1960年であると言っている)論文を発表する前には数日間にわたって、あるいは数週間にわたって、緊張の度が強まってくるのが常で、そのため論文は時として完全に疲労困憊の状態で読みあげられるのだった。(中略)1959年になってすら、『至高体験にあるということの認識』という論文を読みあげていた時、聴衆を前にして、いつもの緊張と切迫感に見舞われた。このため(バーサ・マスローによれば)彼は『聴衆に投げつけるかのように論文を発表し」、それなり寝込んでしまって、回復に数日を要したという。」
(「至高体験」コリン・ウィルソン 由良君美・四方田剛克己訳 河出書房新社 より引用)
また、同書では、マズロー自身の回想として、
「最初の二十年のあいだ、私はたしかに神経症的、しかも極度に神経症的であり、憂鬱で、恐ろしく不幸で、孤独で、孤立しており、自己否認的であった。」(引用 同)
とあり、「ひどくあがったりする傾向」は、若年の頃より始まり、1960年、マズローが亡くなる10年前の52歳まで続いたようです。
スピーチ恐怖は、性格の問題ではなく「精神疾患」のひとつ
スピーチ恐怖は一般に「あがり症」という言葉とひとくくりにされて解釈されることが多く、スピーチ恐怖にさいなまれている当人ですら、性格や気質の問題として捉えている場合が少なくありません。
ガンジーも「はにかみ症」という言葉を使って自身の体験を語っていますが、現代の医学ではスピーチ恐怖は「社交不安症(Social Anxiety Disorder)」という精神疾患の代表的な症状として位置付けられています。
脳科学分野の用語解説サイト「脳科学辞典」から、「社交不安症」の頁を見ると、次のように解説されています。
「社交不安症は、自分が他人から低く評価されるのではないかという恐怖を示す病態である。他の重篤な精神障害を併発しやすく、そうなると社会的障害度が高くなる。近年、有効性の高い薬物療法と精神療法が出現したが、治療を受ける人は少ない。本邦で従来から対人恐怖(Anthrophobia)と呼ばれていた病態の一部はこの概念に含まれる。扁桃体の過活動および、扁桃体と前頭眼窩皮質または後帯状回皮質/前楔部との連絡性の低下などが病態に関連している可能性が指摘されている。治療としてはう選択的セロトニン再取り込み阻害薬や暴露療法などの行動療法が用いられている。」
(脳科学辞典 社交不安症/貝谷久宣 より引用)
執筆者の貝谷久宣医師は、社交不安症やパニック障害治療の先駆者で、この分野で極めて著名な医師ですが、貝谷医師は、同頁で次のようにも指摘されています。
「“内気(shyness)”は健常者の性格であり、内気がすべて社交不安症に発展するわけではないし、社交不安症の前駆状態として必ずしも内気が存在するわけでもない。臨床場面で問題となるのは、これらの患者の訴えを深刻な苦悩ととらえず、また年余にわたる社会機能障害を引き起こす重大な精神疾患と考えない診察者が多いことである。」(引用 同)
つまり、臨床現場でも、スピーチ恐怖をはじめとする社会不安症を、重大な精神疾患と考えず、内気や、あがり症、という、健常者の性格的な問題の延長線上で解釈し、軽い安定剤を処方するなどして、場当たり的に済ませている場合が、少なくとも上記ページが執筆された数年前までは通例であったということです。
私も、現在受診しているメンタルクリニックに出会う以前に、大学病院の精神科や、医院をいくつか受診したことがありましたが、
いずれも安定剤を処方され、無用のカウンセリングをすすめられる程度で、疾患として扱ってもらえない、治療を受けているとは感じられない、もどかしさや、焦燥感が拭いきれませんでした。
ここ数年で、うつやパニック障害をはじめとする精神疾患に関する社会的な理解が浸透し、労働安全法の改正を受けて、産業医によるメンタルヘルスケアを実施する企業も増えるなど、環境整備は着実に進んでいますが、
スピーチ恐怖の場合は、社会や職場で正しく理解され、疾患として受け入れられているかと言えば、10年、20年前とさして変わらないというのが実情です。
パニック障害の人を「情けない」と思う人はもはやいなくなりましたが、
極度の緊張のあまり、朝礼で部下に訓示ができない管理職、経営会議で業績報告ができないマネージャー、クライアントにプレゼンテーションができないプロジェクトリーダーに対しては、
「情けない」どころか、失笑とともに早晩「任務失格」の烙印が押されることは想像に難くありません。
この先、メンタルヘルスケアに関する社会的理解・制度整備がさらに進んだとしても、スピーチ恐怖が、一般的なあがり症や、大勢の前で話すのが苦手という、気質的な傾向と混同されて認識されつづける限り、
また、社会的な経験を重ねそれなりの責任ある立場にある者は、必要な場面において人前で話すくらいのことは当然できてしかるべきだという、社会通念が変わらない限り、
スピーチ恐怖の当事者に対する冷笑的、侮蔑的な見方は改善されることはないかと思います。
また、仮にこの先、“社会的理解”が若干進んだとしても、スピーチ恐怖の当事者が、適切な治療と、症状を緩和するための対処法を得られなければ、当事者の苦しさや、社会的障壁は改善されることはありません。
幸いにして私は、前述のメンタルクリニックに出会うことができ、社会生活を営む上でなんとかぎりぎり支障が無い程度には「対処法」を得ることができました。
万一、今現在、何の対処法にも出会えず、スピーチ恐怖に苦しみ、悩んでいる方は、社交不安の治療に知見と実績のあるメンタルクリニックを一刻も早く受診し、現状の苦悩から解放されて、少しでも楽になっていただきたいと思います。
スピーチ恐怖は、巷に溢れる“あがり症克服講座“のようなもの、“人前であがらずうまく話せるようになるトレーニング”などでは「治癒」できません。
なぜなら、これは性格や気質の問題ではなく、脳の機能不全など、生物学的要因も絡んだれっきとした精神疾患だからです。
私のように、単なるあがり症の範囲を越えて社会生活に支障が出るほどの「疾患」をお持ちの方は、ぜひ、専門性の高いクリニックを受診されることを強くおすすめします。
社交不安症の原因について
以下は、私がクリニックで治療を受けた際に医師から聞いたこと、およびネットや書籍で調べたことをざっくりとした認識で書いているものにすぎません。
現在スピーチ恐怖に苛まれている方でまだ医療機関を受診していない方に、一刻も早く受診していただくための一患者の見識にすぎませんので、参考程度に読み流していただき、詳しくは、クリニック受診の際に専門医の方に聞いて、正しく理解していただければと思います。
先に紹介した脳科学辞典の文中にも「近年、有効性の高い薬物療法と精神療法が出現したが、治療を受ける人は少ない」とありましたが、
社交不安症の治療を受ける人が少ない理由は、当人がこれを精神疾患だと思っておらず、もっぱら性格や気質の問題だと思っていることにつきます。
「内気な性格を直すために精神科に通院する人はいない」と同様の認識で、
「自分は精神疾患ではないから、精神科にかかる必要はないし、かかりたくない」
医療機関を受診しない人のほとんどが、このように思っています。
しかし、近年の研究の結果、社交不安症の「患者」の脳内では、セロトニンやドーパミン、ノルアドレナリンなど、特定の神経伝達物質が不足していることが分かっています。
セロトニンをはじめとする神経伝達物質は、恐怖や不安を引き起こす刺激が、適度に抑制されて脳に伝達されるよう調節する役割を担っていますが、
これが不足すると、脳内で不安や恐怖をコントロールする機能が充分に働かず、スピーチなど、特定の刺激が過剰な不安や恐怖を引き起こし、心拍数・呼吸数の急激な増加や震えといった症状になって現れます。
なぜ神経伝達物質が不足するのかについては、まだはっきりと解明されていませんが、遺伝的要因や環境的要因など、複数の要因が関係して、神経伝達物質に影響を与えているものと考えられています。
ちなみに、脳科学辞典、社交不安症の頁には、研究所見について、以下のように記載されています。
「プロトンMRSで前帯状回のグルタミン酸増加が見られる。PETによる脳血流研究で、スピーチによる扁桃体の血流増加が過剰という所見が見られるが、これは薬物療法で改善する。PETによる受容体研究で、線条体ドーパミン受容体およびトランスポーター結合の減少および、扁桃体、前帯状回、島皮質におけるセロトニン1A受容体結合の減少が報告されている。fMRI研究では、不快表情提示により扁桃体または前帯状回の過活性、線条体の活動性低下、公衆の前でのスピーチ時の前頭眼窩皮質の活性低下、不快表情刺激による扁桃体活性と前頭眼窩皮質および後帯状回皮質/前楔部との結合性低下などが報告されている。
社交不安症において病態生理の中心的役割を果たし過活性を示す扁桃体と、人間関係、道徳、社会活動および情動の評価と扁桃体制御に関係する前頭眼窩皮質および身体感覚も含めた自己参照機能に関係する後帯状回皮質/前楔部との連絡性が弱まっている所見は社交不安症の発症機構仮説を提唱している。最近の拡散テンソル画像研究や安静時fMRI研究により扁桃体以外にも大脳皮質全体の広範な神経ネットワークが社交不安症の発症と関係していることが明らかにされつつある。」(引用 同)
いずれにしても、脳内で機能不全が起こっているということは、専門医を受診し、それを正常に戻す治療が必要になります。
社交不安症の治療および、私のケースについて
スピーチ恐怖に代表される社交不安症の治療法については、より医学的知見による記載が必要とされますので詳細は控えさせていただきますが、
私の経験では、大別して以下の治療法が挙げられます。
1.選択的セロトニン再取り込み阻害薬 (SSRI)、セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)など、脳内の神経伝達物質を正常にする作用を持つ薬の処方
2.抗不安薬、一般に精神安定剤と呼ばれる薬の処方
3.β遮断薬、心拍を減らし血圧を下げる効果のある頓服薬の処方
4.認知行動療法、物事のとらえ方や行動習慣に働きかけて症状の改善を図る心理療法の実施。
上記のいずれを採択するかについては、患者個々の症状や持病の有無などを鑑みての専門医の判断に寄ります。
私の場合、最初にメンタルクリニックを受診した当初は、1~3、3種の薬による治療から始まりました。
当該クリニックを受診する以前に行った医療機関では、もっぱら2の抗不安薬のみが処方されていましたので、スピーチ前など、恐怖を感じる場面ではちょくちょく使用していましたが、
スピーチ恐怖の症状は緩和されるものの、充分に緩和する量を服用すると、事後に猛烈な眠気におそわれることと、服用中の記憶が今ひとつ曖昧になって仕事に支障をきたすこともあり、できれば使用したくないものでした。
β遮断薬の使用をはじめて後は、ほとんど使用する必要もなくなったので、しばらく経って、担当医に相談の上、処方を取りやめてもらいました。
1の選択的セロトニン再取り込み阻害薬 (SSRI)については、一定期間医師の指示に従って服用を続けました。
この薬の作用は確かにあったのでしょうが、私にとってはいざという時にβ遮断薬がある安心感がひときわ大きく、この薬も次第に服用しなくなり、医師に告げたところ「β遮断薬だけでやれるならそれでいいでしょう」となって、以降、処方されなくなりました。
最後にβ遮断薬ですが、これは今も年に1、2度通って処方してもらっている薬で、この薬は、私の社会人人生における、まさに「救いの手」になりました。
プレゼンや会議での発表前にこれを服用することで、心拍数が抑えられ、呼吸も安定して臨めるようになりました。
安定剤と異なり、意識が朦朧とすることはありませんので、思考が明瞭なままスピーチに臨むことができ、事後に記憶が曖昧になることもありません。
極度のプレッシャーがかかる“大舞台“でも若干多めに服用することで通常通りに話すことができるため、それまでのように理由をつけてスピーチを回避することも、スピーチ後に安定剤で朦朧となって業務に支障をきたすこともなくなりました。
スピーチ恐怖そのものが治癒したわけではありませんが、恐怖に見舞われるようなシチュエーションは大概事前に予測できる上、服用から効果が現れるまで10~20分程度しか要しないため、突然の会議開催などにも対応でき、この薬を常にカバンやポケットに携帯しておくことで、私の社会人人生はそれまでと一変して、予期不安に怯える必要のない平穏なものになりました。
β遮断薬を使用し始めてからかれこれ20年が経ちますが、私がスピーチ恐怖であることは、この間、誰からも悟られることがなかったかと思います。
もっとも、β遮断薬は社交不安症の治療に用いられる場合、あくまで「頓服薬」として処方されるものですので、本来は、1のSSRIやSNRIで神経伝達物質の分泌を正常にし、4の認知行動療法で認知習慣や行動習慣を改善して「治癒」または「寛解」に至るのが、望ましい道筋だと思います。
いささかイレギュラーな行程であることはご承知いただいた上で、スピーチ恐怖は克服できずとも、スピーチ恐怖から、ほぼ解放されることは可能な一症例として、記させていただきました。
おわりに
長々と綴ってきましたが、最初に書いたように、私はこれまで、自分のスピーチ恐怖のことをひた隠しにして30年間、社会人生活を送ってきました。
同じ症状らしき方を見かけても、私がスピーチ恐怖者であることを知られたくなかった故に、ずっと見て見ぬふりをしてきました。
そのことに対して少なからぬ懺悔の念もあり、今回このテーマを取り上げることにしました。
この稿を読んでくださった方で、スピーチ恐怖に苦しまれている方、今現在、何の対処法にも出会えていない方がいらっしゃったら、社交不安の治療に知見と実績のあるメンタルクリニックを一刻も早く受診し、現在の苦悩から解放されて、楽になっていただけたらと思います。
当事者でないとわからない恐怖、苦しみから、一刻も早く解放されて平穏な社会生活を取り戻されることを心から願います。